barikatuoの日記

日常の出来事や記念日と雑学、豆知識、趣味の釣りや食べ物(特にラーメン)をつぶやいていきます。よろしくお願いします。

おとぎの国 ネバーランド

こんにちは☀️

 

今日12月27日は、

 

 

ピーターパンの日

 

 

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1904(明治37)年12月27日、

イギリスの劇作家 ジェームス・バリーの童話劇、

「ピーターパン」
がロンドンで初公演されたことにちなんで制定された記念日です。

 

元の原作は、

「小さな白い鳥」
というタイトルでしたが、

その後何度か加筆修正され、

『ピーターパン』と改題し上映されています。

 

ピーター・パンは現在では知らない人がいないほどの名作になっていますよね。

 

ピーター・パンを知らない人のためにストーリーを紹介すると、

ネバーランドに住んでいる永遠に年を取らない少年が、

妖精のティンカーベルと一緒に冒険をするストーリーとなっています。

 

なぜピーター・パンが永遠に年を取らないのかというと、

きっかけはなんと迷子になってしまったからなんです。


ピーター・パンは幼少のころは普通の赤ん坊だったのですが、

ロンドンのケンジントン公園で乳母車に乗せられて散歩をしていたところ、

なんと乳母車から落下してしまい、

しかもベビーシッターに見つけてもらえずに失踪してしまうのです。

 

そして、

迷子となったピーター・パンは、

ネバーランドへと移り住む事となって年を取らなくなったのでした。

 

大人にならない永遠の子どもたちが、

「おとぎの国  ネバーランド
で楽しい冒険を繰り広げる物語は大ヒットを記録し、

イギリスのみならず、

アメリカ・ニューヨークでも上演されるなど世界中で人気を博しました。

 

また、

1953(昭和28)年にはディズニー映画にも登場したり、

ミュージカルや映画になるなど、

100年以上経った今でも多くの人に楽しまれている作品となっています。

 

 

・ピーター・パンの恐ろしい設定

 

 

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ピーター・パンは子供から大人まで楽しめるストーリーとなっていますが、

実は恐ろしい設定があるって知っていましたか?

ピーター・パンの住んでいるネバーランドには、

ピーター・パンと同じように親とはぐれてしまった子供たちである、

ロストボーイ

がいますよね。

そして、

ピーター・パンはその子供たちのリーダーのような役割をしているのですが、

そもそもなぜネバーランドには子供しかいないのか不思議に思ったことはありませんか?
なぜなら、

子供たちが大きくなるとピーター・パンがその手で子供たちを殺しているからなんです。

これは都市伝説などではなく、

実際に作者のジェームス・マシュー・バリーによって書かれた1911年の、

「ピーター・パンとウェンディ」

という作品に登場する設定なのです。


この作品の中で、

子供たちが大きくなると殺していくという記述がしっかりと残されています。

 

 

浅草仲見世記念日

 

 

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1885(明治18)年12月27日に、

東京・浅草の仲見世が新装開業したことにちなんで制定された記念日。

 

浅草の仲見世は関東圏に住んでいない人にはあまり馴染みのないものかもしれませんが、

地元では古くから存在する歴史ある商店街となっています。


仲見世という名前では知らなくても、

雷門から浅草寺へと続く商店街のことと言えば伝わるかもしれませんね。

 

現在でも浅草の観光スポットとして連日にぎわいを見せていますが、

1885年の開業当時はレンガ作りの新店舗が、

東側(82軒)
西側(57軒)
の計139軒連ね、

正月や見本市など大きな賑わいを見せていました。

 

しかし、

1923(大正12)年に起こった関東大震災の影響で多くの店が倒壊してしまい、

復旧時に鉄筋の建物として現存の仲見世に再建されています。

 

再建後も連日多くの観光客が集まり、

東京を代表する人気スポットのひとつになっており、

今日では外国人観光客が東京観光で訪れる必須ルートにもなっています。

 

また、

だんご
せんべい
最中
どら焼き
鯛焼き
ソフトクリーム
揚げまんじゅう
などなどを歩きながら気軽に食べられる、

「グルメ観光の街」
のひとつとしても人気を博しています。

 

 

・浅草には人力車専用の標識が存在する

 

 

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浅草には観光客向けに人力車がせわしなく走り回っています。


お客さんを乗せて観光案内までしてくれるなんてすごい体力ですよね。

そんな人力車が盛んに走り回っている浅草には人力車専用の標識があるって知っていましたか?
人力車の文化が根付いているからこそ、

通常の道路交通法に当てはまらないように、

例外的に人力車を扱う標識があるのです。

例えば、

「駐停車禁止」

などの看板があると人力車も停められなくなるため、

「人力車を除く」

という標識が存在しています。


人力車を安全に運航して楽しく浅草を観光してもらうために、

国も人力車に協力しているということですね。

 

 

・12月27日は何があった日?


●1959年昭和34年12月27日。

文京公会堂で、

「第1回日本レコード大賞

が開催しました。

 

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2020年で62回を迎える日本レコード大賞

第1回の開催が行われたのは、

1959年の12月27日のことです。

 
2006年以降は大晦日の前日に開催される、

日本レコード大賞の授賞式だが、

1969年から2005年までは毎年、

晦日に行われていました。

 

本選まで進んだ歌手たちが、

NHK紅白歌合戦』と掛け持ち出演のため、

晦日の夜に大移動が行われることも、

歌謡界黄金時代の風物詩でした。

 

レコ大といえば大晦日

と記憶されている方も多いと思います。

 

しかし、

初期は随分と半端な時期に行われていました。

 

というのも、

元々レコード大賞は当時の音楽界の風潮に一石を投じるつもりで掲げられた賞だったのです。

 

同賞が発足した1959年頃は、

日本の音楽シーンは戦前から続くレコード会社の専属作家制度が強固であり、

大手のレコード会社が専属作家に売れ線の曲を書かせ、

所属歌手に歌わせるという旧態依然の楽曲制作が行われていました。

 

いっぽうで海外のシーンからは、

ジャズ、

ラテン、

ロカビリー、

など新たな音楽ジャンルが次々に輸入されてきました。

 

こういった新しい西洋音楽に飛びついたのは若者たちであり、

従来の歌謡曲を聴く層は大人世代でした。

 

こういった世代間のギャップを埋め、

新たな時代の日本の歌を生み出すべく、

ジャンルを問わずその年の、

日本を代表する歌を選出する賞を開催しようと試みたのが、

日本レコード大賞でした。

 

●冬期エベレストに日本人初登頂

 

 

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劣悪な環境や人命に関わるあまりにも大きな危険性から、

ネパール政府は、

「エベレストへの冬期登頂は理由問わず禁止」
の措置を長年設けていました。

 

しかし、

時代とともに装備や器具の発達や充実性を考慮し、

1979(昭和54)年に冬期登頂が解禁。

 

多くの登山家が冬期エベレストへの登頂を試みる中、

1982(昭和57)年12月27日、

登山家の加藤保男氏が、

「日本人として初めて冬期エベレスト単独登頂」
を成し遂げました。

 

加藤氏が冬期エベレストの登頂に成功したことで、エベレストをネパール側・チベット側の両側から、

登頂した世界初の人物になると同時に、

世界初となる春・秋・冬のエベレスト3シーズンの、

登頂成功者として記録されています。

 

加藤氏の出身地であった、

埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)では、

登頂への功績を称えて、

同市第一号となる 、
「市民栄誉賞」
が贈られています。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます🙏