地下鉄開業日
こんにちは☀️
今日12月30日は、
●地下鉄記念日
1927年(昭和2年)のこの日、
上野~浅草間(2.2km)に、
日本初の地下鉄(現:東京メトロ銀座線)が開業しました。
「地下鉄開業の日」、
ともされます。
実は1923年には、
新橋~上野の区間で地下鉄を開通させる計画となっていて、
実際に工事施工の認可を受けていたのですが、
同年に発生した関東大震災の影響によって、
開通させる区間を上野~浅草へと変更を余儀なくされました。
その後、
1925年(大正14年)9月27日に着工されて、
約2年3ヵ月という歳月をかけて日本初の地下鉄の開通に向けて工事が行われて、
完成しました。
当時、
アジアには地下鉄が存在していなかったため、
「東洋唯一の地下鉄道」
のキャッチコピーで有名になり、
開通した当日には長蛇の列が出来てにぎわいを見せたそうです。
所要時間は4分50秒、
距離は2.2kmほどであって、
運賃は10銭でした。
このわずか2.2kmという短い区間ではありましたが、その時代から新しいものが大好きな日本人であったためか、
開通日には10万人もの人が乗車をしたそうです。
地下鉄の開通後である1930年1月1日には万世橋、1931年11月21日には神田まで延伸され、
1934年6月21日には当初予定していた上野までの路線が開通することになりました。
この日本初の地下鉄はロンドンの地下鉄に感心した、
早川徳次(はやかわ のりつぐ、1881~1942年)が、
東京にもと尽力し、
ようやく実現させたものでした。
ウィングが回転して通過できる自動改札機、
間接照明と新しい事ずくめでした。
日本に地下鉄を紹介・導入した早川氏は日本において
「地下鉄の父」
と呼ばれます。
・「地下鉄記念日」にちなんで、
地下鉄にまつわる雑学を紹介します。
●地下鉄に上りと下りはあるの?
例えば関東を走っているJRなどの場合は、
東京駅など都心へ向かっていく電車がいわゆる、
「上り電車」
となっていて、
逆に都心から遠ざかっていく電車のことを
「下り電車」
と呼んでいますよね。
同様に関東に走っている地下鉄には
「上り下り」
があるのでしょうか。
実は地下鉄のアナウンスなどでも「上り線」や「下り線」という言葉を聞かないように、
地下鉄には「上り下り」はないのです。
そのため、
地下鉄の職員は
「A線」
「B線」
という言葉を使って地下鉄を区別を行っているそうです。
これは建設を始めた場所が起点となっていて、
起点から出ていく地下鉄が「A線」と呼ばれていて、
逆に起点へと向かっていく地下鉄を「B線」と呼んでいます。
しかし、
どこが起点となっているかがわからない一般の利用者にとっては、
「A線」「B線」という言葉はあまりピンとこないですよね。
●地下鉄は大正時代から存在していた
1927(昭和2)年12月30日に日本初の地下鉄が開通したことを紹介しましたが、
実はこれよりも以前に地下鉄は存在していたのです。
1927(昭和2)年12月30日に開通した地下鉄に関しては、
日本初の「交通機関としての地下鉄」だったんですね。
実は1915(大正4)年の時点で貨物用の地下鉄が東京駅の地下に開通していたのです。
その地下鉄は郵便物貨物専用の地下鉄であって、
高輪南町~浅草公園広小路と車坂町~南千住町を結ぶ15.3kmの地下鉄だったそうです。
その後も貨物用の地下鉄はいくつか開通しているため、
交通機関としての地下鉄が誕生するずっと前から地下鉄は運用されていたんですね。
●取引所大納会
例年12月30日は、
証券取引所での一年最後の立会いの日とされており、
年内最後の取引日は、
「大納会」
と呼ばれています。
大納会とは、
証券取引所の年末の最終取引日に行われる催事のことで、
一般には、
催事の行われる年末の最終取引日そのものが大納会と呼ばれます。
元々は証券取引所も官公庁と同様に、
年内最終取引は12月28日の午前中(前場)までとされていましたが、
証券業界の業績不振などの影響から営業日数が延びたそう。
また、
例年12月30日の大納会には、
その年に話題となったゲストを招いた手締めが行われ、
立会終了の鐘を鳴らすのが慣例となっています。
ちなみに、
年始の最初の取引日のことを、
「大発会(だいはっかい)」
といいます。
・12月30日は何があった日?
●京成「スカイライナー」運転開始
昭和48年12月30日、
成田空港連絡特急としてのスカイライナーが運行開始。
成田国際空港の開港が遅れていたことから、
昭和53年5月21日からです。
●蓬莱橋がギネス記録認定
歩行者と自転車専用の木造橋、
「蓬莱橋」(ほうらいばし)
が、
1997(平成9)年12月30日に、
木造歩道橋として世界一の長さのギネス記録に登録されました。
蓬莱橋は、
全長897.4mで、
や(8)く(9)な(7)し(4)【厄なし】
の語呂合わせから、
「厄なしの長生き橋」
とも呼ばれています。
現在では数少ない賃取橋で、
橋のたもとにいる「橋番」に通行料を支払ってから渡ります。
1日250~300人、
年間にすると10万人以上が訪れています。
毎年5月には、
が開催され、
橋はたくさんのぼんぼりで飾られ、
さまざまなイベントが行われにぎわいます。
また、
その造りや形から多くの時代劇でも使用されているため、
TV出演が多い橋のひとつで、
観光地としても時代劇撮影地としても人気のスポットとなっています。
・蓬莱橋情報
完成
(1879(明治12)年)
改修
(橋脚部分のコンクリートパイル化)
(1965(昭和40)年)
通行料
・歩行者
(小学生以下10円)
(大人100円)
・自転車
(100円)
・牧之原台地開墾のために生まれた橋
大井川右岸にある牧之原台地は全国有数の茶園です。
明治12(1879)年に架けられた農業用の橋です。
橋が架けられる前は大井川を小船で渡らなければならず、
行き来するのに危険を伴っていました。
現在も蓬莱橋は農道としての重要な役割を担うほか、
貴重な歴史的土地改良施設で茶園を管理するために利用されています。
・ロケ地として全国に知られる
昔ながらの風情にあふれる蓬莱橋は、
時代劇をはじめテレビドラマやサスペンスの舞台に、
また最近はバラエティ番組にも登場し、
全国に知られています。
こうした映画やドラマのロケを島田市に誘致し、
ロケ支援のために活動しているのが、
「フィルムサポート島田」
です。
市内には蓬莱橋をはじめ、
「北河製品所」、
「二俣公会堂」、
「御陣屋稲荷神社」、
「大井川鐡道家山駅」、
など、
たくさんの魅力あふれるロケ地が点在しています。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙏