barikatuoの日記

日常の出来事や記念日と雑学、豆知識、趣味の釣りや食べ物(特にラーメン)をつぶやいていきます。よろしくお願いします。

インフルエンザ

こんにちは☀️

 

今日1月9日は、

 

●風邪の日

 

 

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1795年(寛政7年)の1月9日に、

大相撲力士で当時現役の第4代横綱だった、

谷風梶之助(たにかぜ かじのすけ)が、

流感(りゅうかん)で現役のまま亡くなったことを追悼して設けられた記念日。


35連勝のまま、

44歳で死去しました。

 

流感とは、

「流行性感冒(りゅうこうせいかんぼう)」

の略で、

インフルエンザのことです。

 

谷風は、

亡くなる10年ほど前に流感が流行している時に、

「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れるのは風邪にかかった時くらいだ。」

と語ったことから、

この時に流行した流感は、

「タニカゼ」

と呼ばれました。

 

死因となった流感は、

「御猪狩風(おいかりかぜ)」

と呼ばれましたが、

後に「タニカゼ」と混同されるようになりました。

 

これらのことから、

インフルエンザのことを「谷風」と呼ぶ場合があります。

 

また、

風邪の日に制定されている1月9日の前後には、

次々と新種が猛威を振るうインフルエンザの、

「最新型情報」
「予防方法」
「治療のガイドライン
などを厚生労働省が随時情報提供してくれています。

 

ちなみに、

「インフルエンザ」も、

インフルエンサー」も、

インフルエンス(影響)を語源とする言葉です。

 

 

クイズの日 / とんちの日

 

 

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とんちが利いたことで知られる、

一休さんから【いっ(1)きゅう(9)】の語呂合わせにちなんで1月9日に制定された記念日。

 

一休さんといえばテレビアニメなどで長年愛されてきたことから、

知らない人はいないのではないでしょうか。


一休さんが機転を利かせてとんち話をする様は、

なんとも痛快で大人になって見ていても面白いですよね。

 

実は一休さんはアニメオリジナルのキャラクターではなく、

実在していたお坊さんがモデルとなっているんです。

 

一休さんのモデルとなった人物は、

名を、

一休宗純
といい、

室町時代中期に実在した臨済宗の僧でした。

 

一休宗純は、

その生き様で様々な説話が残されていた事から、

江戸時代に、

「一休咄」

という説話が作られてとんち坊主として有名になりました。


その中の代表的な説話の中にもよく知られている、

「屏風の虎退治」、

「このはし渡るべからず」、

があるんですね。

 

江戸時代から楽しまれていた一休さんの説話ですが、

昭和の中ごろまでは主に絵本の題材にされたり、

紙芝居などの題材として取り上げられていました。


一休さんのその根強い人気は戦後になっても続いていて、

1975年10月15日から1982年6月28日までアニメ化され、

全296話が放送されました。

 

しかし、

一休宗純に関するとんち話は、

江戸時代の創作とする説が有力とされており、

実際の一休宗純に関しては、

修行を経て悟りを開くも、

お寺からの認可証を捨ててしまう僧でありながら、70歳を過ぎて20代の女性と同棲するなどの記録が残っており、

破天荒で自由奔放ながら、

聡明な人物であったことには違いないとの認識が歴史家の間では囁かれいます。

 

 

とんちの日にちなんで一休さんにまつわる雑学を紹介します。

 

クイズの日はかなり破天荒だった

 

 

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一休さんはアニメでは子供から大人にまで愛されるキャラクターとなっていますが、

史実の一休さんはかなり破天荒な人物だったことを知っていましたか?


一休さんは幼少期は真面目な少年だったそうですが、

大人になってくるとその破天荒っぷりの片鱗を見せ始めます。

 

なんと大人になった一休さんは僧であるにも関わらず、

酒を飲んで肉を食べて、

さらに男色はおろか女遊びまでするという破天荒っぷりを発揮します。


更に外を出歩く時には木で作られた朱鞘の大太刀を持ち歩き、

正月には杖の頭の部分に骸骨をつけて「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いたという逸話も残されています。

 

史実ではアニメとはかけ離れた破壊僧であることがわかりましたよね。


そして、

好きな物をたくさん食べて栄養も摂れていたためか、

当時にしてはかなり珍しく88歳まで生きたそうです。

 


一休さんには放送が中止になった回がある

 

 

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一休さんには実はあまりにも過激な内容だったため、

放送が中止となった回があるそうなんです。


それは第4話で放送する予定だった、

「しの字とひとやすみ」

というお話でした。

このお話では、

「地獄と極楽が見たい」

桔梗屋が言ったのに対して一休さんがとんちを行い、

桔梗屋の首を締めながら、

「これが地獄でございます」

と言うシーンがあったそうですが、

このシーンが問題となってお蔵入りとなってしまったそうです。


その後は首を絞められている桔梗屋に娘の弥生が駆け寄ったことから首を絞めるのをやめ、

そして一言、

「これが極楽でございます」

と言う内容になっていたそうです。

 

史実の一休さんの破天荒っぷりを知っていたら、

一休さんならやりかねないと思ってしまうようなとんちですよね。

 

 

・1月9日は何があった日?

 

Apple社が初代iPhoneを発表

 

 

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2007(平成19)年1月9日、

Apple製品の展示会として開催された、

Macworld Expo 2007にて、

「初代iPhone
アメリカで発表されました。

 

同社から2001(平成13)年10月23日に発売され、

世界的に大ヒットとなっていたデジタルオーディオプレーヤー

iPod
の筐体を活かし、

「携帯電話」
「デジタル音楽プレーヤー」
「インターネット通信」
「電子メール」
などのアプリを、

タッチパネル方式で操作可能にした携帯電話は、

画期的な未来の携帯電話として登場から多くの注目を集めました。

 

また、

売店に1000人以上の行列ができるほど話題となり、

発売から74日で販売台数は100万台に達しました。

 

それまでもタッチパネルを利用した操作技術は登場していたものの、

同時に一箇所のみの操作処理しか行えないものがほとんどでした。

 

しかし、

iPhoneはマルチタッチと呼ばれる技術の開発に成功し、

複数の指を同時に使うことでバリエーションに富んだ操作性を可能にしました。

 

それまでの携帯電話とは一線を画す機能性を備えた携帯電話の登場は、

誤作動やアプリ等の起動の重さ等もありながら、

スマートフォン時代を告げる先駆け的立ち位置を確立し、

以後毎年新型iPhoneが発表され、

世界中から人気と注目を集めています。

 

ちなみに、

初代iPhoneに採用された携帯電波方式は、

GSM
と呼ばれる通信方式のみだったため、

GSM方式に対応していない日本を含む国や地域では発売が見送られました。

 

日本にiPhoneが登場したのは、

2008(平成20)年に登場した、

「iPhone3G」
と呼ばれる世代のものからとなっています。

 

発売当初はこれほどスマホが普及するとは思ってもいませんでしたが、

いまではほとんどの携帯電話がスマホになっています。

 

さらに、

ブルーバックスiPhoneで読むことだってできるというから驚きです。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます🙏