カラフト犬のタロとジロ「南極物語」
こんにちは☀️
今日1月14日は、
1895年(明治28年)のこの日、日本政府が尖閣諸島を日本領に編入する閣議決定を行いました。
尖閣諸島の名称は、
日本政府からこの島を無償貸与された実業家の古賀辰四郎(こが たつしろう)の依頼により、
1900年(明治33年)5月に当地を調査した、
高知県出身の教師・黒岩恒(くろいわ ひさし)が命名したもので、
島の尖っている形状と、
「イギリス海軍水路誌」
にある、
「The Pinnacle Islands」
の意訳に由来します。
●愛と希望と勇気の日(タロ、ジロの日)
1959年(昭和34年)1月14日、
南極に置き去りにされた、
カラフト犬のタロとジロの生存が確認された日。
南極観測船である「宗谷」は、
1956年(昭和31)の秋に、
11人の隊員が東京港を出発して、
15頭の樺太犬が参加しました。
1958年(昭和33年)に、
再度第2時超冬隊を結成し、
南極に向かいましたが途中で分厚い氷に阻まれ、
隊員11人は、
ヘリコプターで救出されました。
カラフト犬は、救出できなかった。
ヘリコプターで救出できたのは人だけで、
カラフト犬15頭は、
鎖につないだままの状態で氷原に置き去りされました。
翌年である1959年(昭和34年)1月14日、
南極観測船「宗谷」から飛び立ったヘリコプターが、
南極の昭和基地に着いた時に、
タロとジロの生存が確認されたことが、
南極から打電されました。
このニュースは世界中に広まり、
希望と愛、
勇気と感動に包まれました。
この物語は、
「南極物語」として、
映画化されたことでさらに広がり記念日になりました。
・その後のタロとジロは?
ジロは、
1960年7月9日に、
南極の昭和基地で5歳で病気のため死亡しました。
ジロは、剥製(はくせい)として、東京の上野にある国立科学博物館におかれています。
タロは、
1961年5月4日に、
日本に生還を果たし、
北海道札幌市の北海道大学植物園で余生を過ごし、
1970年(昭和45年年)8月11日に、
14歳7ヵ月で老衰のため永眠しました。
正月に飾った、
正月飾り、
書初めなどを燃やす日です。
呼び方は地方によって違い、
地方によっては、
8日や10日に行う地方もあります。
秋に刈り取った後の田んぼで、
3本か4本で組んだ長い竹を立てて、
その年の正月に飾ったしめ縄や門松、
書き始めなどを持ち寄って焼く儀式です。
・焼く事の意味とは?
しめ縄や門松を燃やすことで、
しめ縄や門松でお出迎えをした歳神を、
焼くことで炎と共に見送る意味があると言われています。
・焼く時に行うこと
しめ縄や門松を燃やす時に、
その火を使って三食団子や餅を焼いて食べる地域もあります。
・病を除く方法
しめ縄や門松などを焼いた後の、
灰を持ち帰り自宅の周辺にまくことで、
その年の病を取り除くとも言われています。
・色々な呼び方がある
日本全国で広くみられる有名な風習ですが、
地域によって、
「どんど焼き」、
「どんと焼き」、
「才の神焼き」、
「さいの神」、
「歳の神」、
などと呼ぶ地域もあります。
●1月14日は何があった日?
1978 年の1月14日に、
地盤崩れの被害の他に、
海産物への被害も甚大になったので、
今でも静岡市民の記憶に新しい天災です。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙏