禁酒
こんにちは☀️
今日1月16日は、
●禁酒の日
1920(大正9)年1月16日にアメリカで禁酒法が実施されたことにちなんで、
日本でも制定された記念日。
当時、
アルコールに対する強い批判がありました。
20世紀初頭まで間に18の州で禁酒法が実施されていたのですが、
これが全国に及ぶこととなりました。
しかし、
飲料用アルコールの製造・販売等が禁止されたことによって、
密造酒の蔓延、
密造酒を飲むことによる健康問題や、
アル・カポネを始めとする密売にかかわるギャングの出現等、
逆効果を招いてしまうしまう結果となりました。
その後、
1933(昭和8)年2月には禁酒法は廃止されることとなりました。
禁酒に挑戦する人は多いですが、
やめようと考えたりダメといわれたりすると、
辛くなってしまって、
お酒に手を出してしまうという人が多いですよね。
飲みすぎは体に良くないですが、
ほどよく飲めば健康的に問題ないと言われていますし、
ワインなどはポリフェノールが豊富に含まれている事から、
適量であれば健康に良いとも言われていますよね。
お酒は飲みすぎないように適度に楽しみたいものですね。
●禁酒の日にちなんでお酒にまつわる雑学を紹介します。
・乾杯は毒見をするためにされていた
宴会などでお酒を飲む場合は当然ですが「乾杯」の音頭を待ってから飲みますよね。
しかし、
現在では宴会の開始を告げるための「乾杯」が昔はお酒に毒が入っていないことを確認するために行っていたものだって知っていましたか?
乾杯することによってどうやって毒が入っていないかを確かめたのかというと、
グラスをぶつけることによって、
お互いのグラスの中のお酒を相手のグラスの中へと入れていたのです。
グラスをぶつけて飛び散った自分のお酒が相手のグラスに入っても相手が平気で飲めているのなら、
自分のグラスにも毒がもられていないことがわかりますよね。
毒が入っていないことを証明するために、
乾杯を合図にして全員が飲みほすための合図にも使われていたそうです。
また、
音を立てる事によってお酒に宿っている悪魔を追い払っていたという説も残っています。
・ビールだけで7年間生きた男がいる
適度にお酒を飲むことは健康にも良いとされていますが、
過去にはなんとビールだけで7年間も生き延びた男がいるんです。
1934年3月9日に青森県水上署で逮捕された男の話ですが、
なんとこの男は朝ごはんにビールを要求しました。
なぜビールを要求したのかというと、
なんとこの男は過去7年間の間にビール以外の物を一切口にしていなかったからなんです。
この男は7年前に医者にかかったところ、
胃腸カタルだと診断を受けてもう助からないとされていました。
どうせ死んでしまうなら好きなだけビールをしようとやけ酒をして、
その暮らしを7年間も続けたのですが、
逆に胃腸の調子は良くなったそうです。
どんどん胃腸の調子が良くなっていったことから、
ご飯なども一切食べずにひたすらビールを飲み続けてきたんですね。
●囲炉裏の日
囲炉裏を囲んで暖かい会話を楽しもうと囲炉裏の愛好家らが制定しました。
日付は「い(1)い(1)ろ(6)」(いい炉)と読む語呂合わせから記念日を制定しています。
・囲炉裏(いろり)とは、
炉の一種で、伝統的な日本の家屋において床を四角く切って開け、
灰を敷き詰め、薪や炭火などを熾(おこ)すために設けられた一角のことで、
日本の伝統的な家屋ではよく見かけられていました。
古くは、
「比多岐」(ひたき)や、
「地火炉」(ぢかろ)、
とも言いました。
記念日制定には、
囲炉裏を囲んで話しながら食事する温かみの大切さを改めて知ってもらいたい、
との願いも込められております。
・1月16日は何があった日?
●日本初のアイススケート場がオープン
1876(明治9)年1月16日、
日本初のアイススケート場が神奈川県・横浜にオープンしました。
アイススケート場は、
青木安兵衛氏が、
横浜港近くにあった自らの水田をスケートリンクにしたもので、
オープン当初は、
自然に張った氷を利用したアイススケート場で、
「氷すべり場」
の名称で開場していました。
スケート靴もしっかりしたものではなく、
下駄に鉄の刃をつけたもの使用していたそうです。
日本初となるアイススケート場がオープンしたことは、
当時の新聞でも大々的に伝えられ、
多くの人が訪れたものの、
スケート専用靴への履き替え屋外だったことによる
「気温の変化」
「氷の厚さの問題」
などの諸問題があり、
長期的な経営は難しかったそうです。
ちなみに、
日本初の人口のアイススケート場は1925年にできた、
「北極館」
です。
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