円太郎バス
こんにちは☀️
今日1月18日は、
●都バス開業の日
東京市営の乗合バスが東京駅への2系統で営業を開始したことを記念して東京都交通局が制定された記念日となります。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により、
復旧には相当な期日がかかることが見込まれたため、
路面電車に変わる交通手段として運行を始めたことから都バスの始まりだったそうです。
最初に開通したのは
「巣鴨駅から東京駅」
「中渋谷駅から東京駅」
の2系統でした。
当時の都バスはT型フォード11人乗りで、
明治時代初期に活躍していた乗合馬車を連想させるようなもので、
「円太郎バス」、
という愛称で呼ばれていました。
当初はあくまで路面電車の代替として都バスの運行を開始しましたが、
思いのほかバス事業は好調となり、
車庫の増設や車両の数も増やされることになりました。
路面電車が復旧するとともに都バスの利用者が減ることを見込んでいた事から、
当初は1924年の7月末を目途に都バスの運行を止める方向性でいたそうです。
しかし、
その時点で都バスはすっかりと交通手段として定着をしていたことから、
運行が継続されることとなり、
現在まで運行が続けられています。
●都バス記念日にちなんでバスにまつわる雑学を紹介します。
・路線バスはなぜシートベルトが無いのか?
昔はシートベルトをしていない状態で運転していても、
助手席の人がシートベルトをしていない場合でも法律的に問題はありませんでしたよね。
しかし、
やはりシートベルトをしていない時の死亡率や怪我をする割合が高かった事からシートベルの着用が義務付けられることとなりました。
車に乗る時にはシートベルトの着用が当たり前の考えとして根付いてきましたが、
同じ道路を走る車両なのにもかかわらず、
路線バスに関してはシートベルトがついていないですよね。
高速バスなどに乗る際にはシートベルトの着用が義務となっていますが、
なぜ路線バスの場合だけはシートベルトを着用しなくても良いのでしょうか。
自動車のシートベルトの設置有無については
によって設けられていて、
この基準によって普通自動車にもシートベルトが装着されています。
この基準の中では、
乗車定員が11名以上となる路線バスについてはシートベルトの設置や装着の義務がないとされていて、
2008年にシートベルトの着用が義務付けられた際にも、
路線バスだけは対象から除外されていたのでした。
・路線バスは定員オーバーにならないのか?
普段から路線バスを使って通勤通学を行っている人にとっては、
通勤ラッシュの時間帯は特にバスが混雑して地獄のような時間になりますよね。
無理やり乗り込もうとする人もいますし、
中がすし詰め状態となって大変苦しい思いをしてしまいますが、
そもそもそれだけの人数を乗せても定員オーバーにならないのでしょうか。
路線バスの定員に関しては
「サービス定員」
という考え方が適用されています。
サービス定員の考え方では、
通常の運行に支障がない乗客数であれば、
立っている人がいたとしても走行することが許されています。
サービス定員が具体的にどの程度の人数になるのかというと、
バスのサイズによって多少の前後はありますが、
大体70~80人になるそうです。
しかし、
実際に路線バスにどれだけ無理やり人を押しこんでも60人を超えることはないそうなので、
絶対に定員オーバーにはならないそうです。
●118番の日
海上保安庁が2010年(平成22年)12月に制定し、
翌2011年(平成23年)から実施しました。
海上保安庁への緊急通報用電話「118番」を広く知ってもらうための活動が行われます。
「118番」は、
2000年(平成12年)5月1日に運用を開始し、
10周年目に記念日としました。
海での緊急時の電話番号「118番」、
運用は2000(平成12)年5月1日からスタートしていますが、
同じ緊急通報用電話番号でありながら、
「110番」や「119番」に比べて低い為、
「118番」を広く知ってもらうことを目的に、
「118」を1月18日に見立てて、
受付先となっている海上保安庁が記念日に制定しています。
118番の運用は2000(平成12)年5月1日からスタートしていますが、
ちなみに、
代表的な緊急電話は、
110
(警察)
118
(海上保安庁)
119
(消防、救急)
189
(児童虐待相談)
#9110
(警察)(緊急以外)
#9910
(道路の異常報告)
●いい部屋の日
大東建託は、
アパートやマンションなどの建設事業・不動産の仲介事業などを行っていますが、
賃貸物件検索サイト「いい部屋ネット」を運営しています。
同社では、
部屋探しでの重視ポイント、
新生活のための部屋探しなどを前に、
いい部屋とは何かについて考える機会を作りたいと願い、
この記念日を制定しました。
日付は、
「1」と「18」の「118」で、
「いい部屋=いい(1)へ(1)や(8)」
と見立てて。
・1月18日は何があった日?
●カップスターが初めて発売
1975(昭和50)年1月18日、
サンヨー食品株式会社から、
「カップスターしょうゆ」
が発売されました。
インスタント麺製品「サッポロ一番」が大ヒット商品となっていた中、
との同社の構想の元、
お湯だけ入れれば食べられるカップ麺の開発が行われました。
完成した製品に、
インスタント麺に続く大ヒット商品となりました。
「カップスター」シリーズには、
「みそ」「しお」「キムチ」「とんこつ」「カレーうどん」など、
多彩な味のバリエーションがあります。
日付は、
「カップスター」が初めて発売された日にちなんで。
記念日は、
一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。
1657年(明暦3年)の1月18日、
「明暦の大火」、
と呼ばれる江戸時代最大の火事が発生しました。
死者は10万人を超え、
多数の大名屋敷、
市街地の大半が焼失するなど、
江戸中を焼き尽くすほどの大火事でした。
明暦の大火(1657年)・明和の大火(1772年)・文化の大火(1806年)は江戸三大大火と呼ばれます。
明暦の大火を描いた田代幸春画『江戸火事図巻』(1814年/文化11年)
言い伝えによると事の起こりは3年前。
商家の娘おきくが偶然見初めた若衆に恋いこがれるが、
恋は叶わず明暦元年1月16日、
16歳で亡くなりました。
彼女の紫ちりめんの振袖は質屋、
古着屋を介して2人の娘に渡るが、
いずれも1月16日に亡くなってしまう。
供養を頼まれた本妙寺ではわざわざ因縁の16日を外して18日に供養すべく振袖に火をつけたが、
突然吹いた強風により空に舞い、
本堂に飛び込み、
火が広がってしまった。
それが江戸中を焼き尽くす大火の原因となったといいます。
大火の火元については、
上記のような、
「振袖火事」、
とも呼ばれる、
「本妙寺失火説」、
江戸の都市改造を実行するため幕府が放火したとする、
「幕府放火説」、
など諸説あります。
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