カレーライスは年代問わず好まれていますね🍛
こんにちは☀️
今日1月22日は、
●カレーライスの日
1982(昭和57)年1月22日に、
学校給食創立35周年を記念して行われた全国学校栄養士協議会が、
カレーライスを全国小中学校の児童約800万人に、
給食として提供したことにちなんで制定された記念日。
また、
同会は1月22日を、
「全国一斉献立カレーライスの日」
にすることも決定しています。
カレーライスは米飯給食の普及にも大きく貢献するとともに、
子どもたちからも絶大な人気を得ており、
今では国民食としての不動の地位を確立しています。
・カレーライスについて
カレーライスは、
カレーを米飯にかけて食べる料理で、
インド料理を元にイギリスで生まれ、
日本で独自に変化しました。
イギリスでは、
「Curry and rice」(カリーアンドライス)や、「Curried rice」(カリードライス)、
と呼ばれます。
日本語では省略して「カレー」と呼ばれています。
ラーメンと並んで日本人の国民食と呼ばれるほど人気がある料理で、
小中学校の給食メニューの人気アンケートでも常に上位に挙げられています。
日本で初めてカレーという料理の名を紹介したとされる書物は、
1860年(万延元年)に出版された、
福沢諭吉の「増訂華英通語」で、
「Curry コルリ」という表記があります。
1926年(大正15年)に大阪ハウス食品が、
カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタント・カレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売した。
1927年(昭和2年)、
東京の「新宿中村屋」が喫茶部を開業し、
「純インド式カリ・ライス」を、
「80銭」(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)、
で出しました。
日本で初めての本格的な「インドカレー」で、
高値にもかかわらず1日300食を売り上げたといいます。
東京都内のジャズクラブオーナーらによる、
「JAZZ DAY 実行委員会」が2001年(平成13年)から実施しました。
日付はJAZZのJAが「January」(1月)の先頭2文字で、
ZZが「22」に似ていることに由来します。
「1月22日を日本のジャズの日に」として定着を目指しており、
例年1月22日を中心とした週末などには、
「ライブコンサート」や、
「ジャズイベント」など、
様々なPR活動が各地で展開されています。
記念日制定を行ったJAZZ DAY実行委員会は、
東京都内の老舗ジャズクラブでもある、
「バードランド」
「サテンドール」
「オールオブミークラブ」
のオーナーらによって形成されている由緒あるジャズ団体となっています。
ちなみに、
関連する記念日として、
「ジャズの4ビート」(4/4拍子)に由来して、
4月4日は「KOBE JAZZ DAY」となっています。
・1月22日は何があった日?
●日本初の国産飛行船が空を飛ぶ
1916(大正5)年1月22日、
日本初の国産飛行船、
「雄飛」(ゆうひ)が、
埼玉・所沢~大阪間での実験飛行に成功しました。
雄飛は、大日本帝国陸軍の軍用航空船で、
様式(軟式パルセバール、
容積(1万m3)
重量(8.1t)
全長(85.0m)
全幅(15.5m)
全高(22.5 m)
乗組人員(6~12名)
巡航速度(57.6 km/h)
最大速度)68.4 km/h)
昇騰高(2.5km)
最大航続時間(20時間)
のスペックは、
それまであった諸外国の飛行船にも劣らない大きさや性能を兼ね備えていました。
実験飛行中、中間点となった愛知県・豊橋に検査のため一度着陸はしたものの、
所沢〜大阪間を約11時間34分分かけて飛行しています。
なお、所沢への帰還飛行は機関不調のため行なわず、機体を分解し陸送されました。
ちなみに、
雄飛が製作された埼玉県所沢市では、
記念焼き和菓子として「雄飛焼き」が販売されている他、
居酒屋や商店街にも「雄飛」の名を冠するお店などがあり、
飛行実験成功の功績を残しています。
「雄飛焼き」は、
1930年(昭和5年)に、
「帝国優良品大審査会壱等賞金牌」
を受賞しており、
昔と変わらぬ素朴な味で所沢名物となっています。
国産初の飛行船実験に成功した1月22日は、
「飛行船の日」
として記念日に制定されています。
●日本に初めて電灯が灯る
1887(明治20)年1月22日、
東京・鹿鳴館で日本初の白熱灯が点灯されました。
当時は、
移動式石油発電機を使用したもので、
1883(明治16)年に電灯営業の許可を得ていた、
日本初の電力会社「東京電燈株式会社」、
が電力の供給を行うとともに、
営業を開始させています。
東京電燈株式会社の設立には、
大倉喜八郎氏
「ホテルオークラ」
「大成建設」
などの設立者
原六郎氏
「第百国立銀行」設立者
など、
多くの財界人らが名を連らねており、
それまでのガス灯や油灯に変わるものとして、
諸外国では一般的となっていた電灯の設置を切に訴え続け、
現実化させたものでした。
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