天は我々を見放した
こんにちは☀️
今日1月23日は、
電子メッセージング協議会(現:Eジャパン協議会)が1994年(平成6年)に制定しました。
日付はメールを「いいふみ(いい文・E文)」として「いい(1)ふみ(23)」と読む語呂合わせであることが由来となっています。
・Eジャパン協議会とは?
総務省管轄の外郭公益法人である財団法人マルチメディア振興センターに事務局を置く任意団体です。
高度情報通信社会に向けて、
アプリケーションの研究・開発、ネットワーク向上に関する調査・啓発などを行っています。
また、
世界最先端のIT国家となることを目指す政府の「e-Japan戦略」実現に向けて、
約120の企業や団体とともに活動を展開しています。
電子メールについてはインターネットよりも先に開発されていたそうです。
インターネットを作るのにあたって電子メールは重要な道具となっていたのです。
電子メールの運用が実際に始まったのは1965年のことで、
1970年代初頭までにアメリカ国防総省の自動デジタル・ネットワーク状の端末を1350台つないで、
3000文字程度のメッセージをやり取りできるようになりました。
日本では1990年代にはポケベルが主流となっていましたが、
実は1980年代の終わりごろには電子メールの送受信が可能でした。
電子メールはWindows95が登場したことによって一般人にも徐々に浸透していくことになりました。
Windows95にはメールソフトが付属されていたことから、
誰でも気軽に電子メールのやり取りができるようになったのです。
その他の関連する記念日として、
10月29日は「インターネット誕生日」、
11月21日は「インターネット記念日」となっています。
また、
同じく「ふみ(23)」と読む語呂合わせで毎月23日は「ふみの日」で、
これは郵政省が1979年(昭和54年)に制定しました。
7月23日は「文月ふみの日」という記念日になっています。
●電子メールの日にちなんで電子メールにまつわる雑学を紹介します。
・アットマークの由来
電子メールで使われている「@(アットマーク)」ですが、
その読み方から英語の「at」が由来になっていると思われがちですよね。
しかし、
実はアットマークは英語の「at」が由来というわけではないんです。
もともとはラテン語の「ad」が由来となっていて、
中世の修道士が「a」を囲うようにして「d」を書いたことから「@」という記号が生まれたとされています。
当時は活版印刷なども行われていない時代だったため、
修道士が聖書を複製する際には手書きで行っていました。
手書きをしすぎて修道士は手首を痛めてしまったとも言われていて、
なんとか略記が出来ないかと考えられた結果、
「ad」を略記するために「@」という記号が誕生したのです。
手書きをしてみればわかりますが、
「@」であれば一筆で書けてとても楽ですよね。
・アットマークと呼ぶのは日本だけ
実は「@」を「アットマーク」と呼ぶのは日本だけなんです。
どちらも英語のため海外でも通じると思われがちですが、
海外で「アットマーク」と言っても伝わりません。
英語圏では「@」の事を「at sign」や「at symbol」と呼びます。
また、
これ以外にも様々な呼び方があります。
例えば「@」の形から英語で「cyclone(サイクロン)」や「snail(カタツムリ)」と呼ばれることもありますし、
フランス語でも「escargot(エスカルゴ)」と呼ばれています。
ドイツ語では「Klammeraffe(クモザル)」であったり、
オランダ語では「apenstaartje(猿のしっぽ)」などと呼ばれています。
●ワン・ツー・スリーの日
日付は「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」と読む語呂合わせから。
人生に対してジャンプする気持ちを持とうとする日です。
12月3日は、
奇術(手品)を披露するときの掛け声「ワン・ツー・スリー」で「奇術の日」となっています。
●めかぶの日
福岡県北九州市・和布刈めかり神社では、
1,300年以上続く和布刈神事が旧暦の元日に行われることにちなんで、
旧暦の元日は新暦換算で1月23日にあたることから、
めかぶ関連製品を展開している、
「有限会社辻水産」が1月23日に記念日を制定しています。
めかぶには栄養素が豊富に含まれており、
野菜などの食物繊維と一緒に食べると、
ヘルスケア効果が期待できる海藻食材のひとつとして注目されています。
・1月23日は何があった日?
慶応2年1月23日(1866年3月9日)、
京・伏見(現在の京都市伏見区)の旅館・寺田屋に宿泊していた、
いち早く気付いたお龍(おりょう)は風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり投宿していた龍馬らに危機を知らせました。
寺田屋は鳥羽伏見の戦で罹災し、
現在の建物はその後再建。
前日には坂本龍馬の仲介もあって薩長同盟の密約を結んでいます。
難を逃れた龍馬とお龍は、
薩摩藩の伏見藩邸に逃げ込み、
薩摩藩の船で鹿児島へと渡って霧島で湯治しています。
これが「日本最初のハネムーン」といわれています。
ちなみにお龍、
明治に入って神奈川宿の料亭・田中家で仲居として働き、
明治8年、
西村松兵衛と再婚。
西村ツルとなって、
横須賀で暮らし神奈川県横須賀市には、
寺田屋事件で活躍したお龍ゆかりの地が残されています。
●八甲田雪中行軍遭難事件(八甲田山の日)
明治35年1月23日、
青森県・八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が猛吹雪の中で遭難する事件が起こりました。
遭難事件は日露戦争開戦直前の出来事でしたが、
当時はすでにロシアとの緊張状態が続いていました。
そのため、
冬のロシア軍侵攻の影響で青森海岸沿いの列車が動かなくなった場合を懸念し、
青森〜田代〜三本木〜八戸のルートはソリでの物資輸送が可能かどうか、
を調査するための行軍が行われることとなりました。
しかし、
弘前に本営を置いていた第八師団第五連隊の面々は、
雪中行軍のノウハウも知らず、
指導部の無謀から軽装での行軍を開始。
視界0mの猛吹雪、
約40kgとも言われる装備、
などなど様々な要因が重なるも、
なせばなるの精神論だけで乗り切ろうと行軍を断行。
その結果、
遭難し極寒の中で、
兵士210人中199人(うち6名は救出後死亡)の死者を出す大惨事となってしまいました。
日露戦争を目前に控えていた軍部は、
国民からの批判を恐れ遭難者を英雄として美談に仕立て上げるも、
後日多くの小説や映画の題材として事実が取り上げられ、
現在では「死の行軍」として記録されています。
昭和52年に高倉健、
北大路欣也主演の、
「八甲田山」として映画化されています。
北大路の台詞「天は我々を見放した」は、
当時の流行語になりました。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙏