夕刊フジ
こんにちは☀️
今日2月25日は、
●夕刊紙の日
1969(昭和44)年2月25日、
日本初となる駅売り専門の夕刊紙、
「夕刊フジ」
が産業経済新聞社から創刊されたことにちなんで制定された記念日。
新聞名はフジテレビジョンに由来し、
産業経済新聞社が発行しています。
普通の新聞紙1ページの半分の大きさの、
オレンジ色のニクい奴というキャッチコピーも当たり、
創刊当初から異例とも言える大ヒットを記録しています。
サラリーマンを対象としたタブロイド紙の登場は、
一つのクラスカルチャーを生んだと言われます。
首都圏・関西での即売が中心で、
1999年(平成11年)の発行部数は首都圏版106万部、
関西版50万部となっています。
以後、
朝刊だけを発行していた新聞社の多くが、
朝刊よりも俗世寄りの情報を掲載した夕刊紙を次々と創刊するようになりました。
また、
1996年(平成8年)8月より公式ウェブサイト「ZAKZAK」を開設、
日本におけるインターネット普及初期からネットでのニュース記事配信も行っています。
・夕刊紙の日にちなんだ新聞にまつわる雑学を紹介します。
●新聞を作るのに必要な紙の量
毎日のように全国で朝と夕方に発行される新聞ですが、
紙をどれぐらい使っているかを知っていますか?
テレビで見た事があるかもしれませんが、
新聞は巨大なトイレットペーパーのような紙を回転させながら内容を印刷していきます。
その巨大なロール状の新聞の長さは13.7kmとなり、
幅が162.6cm、
重さは950kgもあります。
この巨大なロール状の新聞を回転させ、
朝刊と夕刊をあわせて1日に約2400本を消費するそうです。
1本でも想像を絶する大量の紙ですが、
2400本ともなると途方もないですよね。
1日に使用する新聞紙を全てつなぎ合わせると地球を5分の4周以上する距離になるそうです。
●新聞の上に書いてある数字の意味は?
新聞を普段読んでいる人は知っていると思いますが、
新聞の上の方には「×××××号」といった数字が印刷されています。
あまり意識した事はないと思いますが、
これにもちゃんと意味があります。
この数字は新聞が創刊されてから何号目なのかを表しています。
創刊号が1号だとすると、
10000号は10000回目に発行された新聞ということになります。
特に読売新聞の歴史は古く、
2015年には創刊から50000号を達成しました。
●ひざ関節の日
「ひざ」は英語で、
「knee(ニー)」ということと、
ひざの痛み等なく「ニ(2)ッコ(5)リ」するとの連想と語呂合わせから、
ひざサポートコラーゲン
などの商品を開発・販売しているキューサイ株式会社が2月25日に記念日を制定しています。
ちなみに、
コラーゲンペブチド
ヒアルロン酸
コンドロイチン
などの軟骨成分は、
膝関節の曲げ伸ばしをサポートしてくれる効能がある、
とされています。
●親に感謝の気持ちを伝える日
2と25の2が親と子の双方を、
25がニコニコ笑顔を表していることから株式会社ボンズコネクトが制定。
同社は、
「還暦祝い本舗」
「プレゼント本舗」
「手元供養本舗」
などのサイトでメモリアルギフトの販売を手がけています。
日本記念日協会認定記念日。
・2月25日は何があった日?
●深良用水完成
1670(寛文10)年の2月25日、
日本の土木史上重要な意味を持つ深良用水(箱根用水)が完成しました。
駿河国駿東郡深良村(現・静岡県裾野市深良)の名主であった大庭源之丞(おおばげんのじょう)は、
芦ノ湖の水を深良に引くことを考え、
用水工事に着手。
湖尻峠に約1200メートルのトンネルを掘って、
3年半の歳月と延べ84万人の作業員が動員されて工事が完成しました。
また、
「世界かんがい施設遺産」に登録され、
裾野市深良地区郷土資料館で資料が展示されています。
●ヱビスの日
1890年(明治23年)2月25日、
日本麦酒醸造會社からドイツ人技師カール・カイザーを招聘して醸造した、
「惠比壽麦酒」(ヱビスビール)が初めて発売されたのを記念して、
サッポロビール株式会社が制定。
当時のビールにおいてはかなりの高品質であり、
同年に行われた「内國勸業博覧會」においては「最良好」の評価を得て、
1899年には日本初のビアホール「恵比寿ビールBeer Hall」が開かれ、
あまりの出荷量にエビスビール出荷専用の貨物駅(現在の恵比寿駅)が作られるほどでした。
第二次世界大戦が始まった後は、
原料である大麦やホップが入手困難になったり、
ビール自体が配給制になるなど、
産業としては大きく停滞してしまったものの、
1971年12月10日にブランドが復活し、
缶ビールの販売などで再びシェアを伸ばしていきました。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙏