「バカヤロー」解散
こんにちは☀️
今日2月28は、
●ビスケットの日
東京都港区新橋に事務局を置き、
ビスケットに関する調査・研究などを行う一般社団法人・全国ビスケット協会が1980年(昭和55年)に制定。
パンの製法を学ぶために長崎に留学していた、
水戸藩の蘭医・柴田方庵(しばた ほうあん、1800~1856年)が同藩の萩信之助に、
オランダ人から学んだ軍用のパン・ビスケットの製法を書いた「パン・ビスコイト製法書」の書簡を送った。
これが、
ビスケットの製法を記した日本初の文書とされています。
また、
ビスケット(biscuit)の語原がラテン語で、
「2度焼かれたもの」という意味の、
「ビス・コクトゥス(bis coctus)」であることと、
「に(2)どや(8)く」(2度焼く)と読む語呂合わせの意味もあります。
●織部の日
1599年(慶長4年)2月28日、
古田織部(ふるた おりべ、1543~1615年)が、
自分で焼いた茶器を用いて京都・伏見で茶会を開いたことにちなんで、
岐阜県土岐市が1988年(昭和63年)記念日に制定しています。
新暦1599年3月24日、
この時に使われた器が後に「織部焼」のはじまり
とされています。
また、
昭和期には当時使用されていた織部焼の茶器が、
織部焼の生産地は美濃(現:岐阜県)の辺りだったことが確認されています。
・古田織部について
茶人・古田織部は、
本名が古田重然(ふるた しげなり)、
安土桃山から江戸時代初期の武将・大名で、織部流茶道の祖。
「織部」の名は、
壮年期に従五位下・織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来します。
千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、
茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらしました。
大阪市に本社を置き、
チョコレート・クッキーなどの菓子を製造・販売するフルタ製菓株式会社が、
2016年(平成28年)、
40周年の「セコイヤチョコレート」、
新商品である「エブリワンクッキー」のテレビCMに古田織部を起用しました。
このCMは、
京都市にある古田織部美術館より第1回「織部賞」を受賞しました。
・2月28日は何があった日?
●スリラーがグラミー賞8部門受賞
1984年の2月28日は、
世界的ミュージシャンのマイケルジャクソンのアルバム、
「スリラー」がグラミー賞8部門で受賞する快挙を達成しました。
「スリラー」は、
1982(昭和57)年12月1日に発売され、
以後全米チャートで37週にわたり1位を記録。
Billie Jean、
Beat It、
Thriller、
といった、
当時のミュージックビデオの概念を変える音楽作品が含まれたアルバムは、
日本でもミリオンセラーを記録するなど、
世界的な大ヒットとなりました。
ちなみに、
売り上げ枚数は全世界で6,500万枚以上と認定されています。
売上枚数は諸説ありますが、
世界で最も売れたアルバムとしてギネス記録に認定されています。
(ギネス認定当時はおよそ6500万枚の売上)
●「バカヤロー」解散
1953(昭和28)年2月28日、
「吉田茂バカヤロー」と発言。
この発言が元となり内閣不信任案が提出・可決され、
この年の3月14日に衆議院が解散してしまった。
この解散は「バカヤロー解散」と呼ばれている。
選挙の結果、
改進党との閣外協力で第5次吉田内閣を発足させて延命を繋いだ。
「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えますが、
吉田は席に着きつつ非常に小さな声で、
「バカヤロー…」と呟いたのみで、
それを偶然マイクが拾い、
気付いた西村が、
「何がバカヤローだ!バカヤローとは何事だ!!」と聞き咎めたために騒ぎが大きくなったというのが実態です。
ちょっとした発言だとしても、
いつ誰がどこで聞いているか分からないため、
細心の注意をすべきとのニュアンスで、
政治の世界だけでなくビジネスや一般生活においても、
ある種の教訓として今日でもしばしば引用されています。
・バカヤローの日
吉田茂元首相が「バカヤロー」発言をした2月28日は、
バカヤローの日として記念日に制定されております。
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