忠臣蔵
こんにちは☀️
今日12月14日は、
●赤穂浪士討ち入りの日
1702(元禄15)年12月14日の寅の上刻(午前3時)頃のこと、
赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りをし、
「忠臣蔵」で有名な、
大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしたか)以下、
四十七士が本所の吉良上野介邸に討ち入りした日。
スマホアプリのモンストでも出てきた、
元禄のAKO47とも言える、
「赤穂浪士」(あこうろうし)
赤穂浪士は一般的には四十七士とよばれています。
浪士の一人の寺坂吉右衛門は討ち入りに参加したが、
83歳まで生きていたそうです。
「討ち入りの日」
「四十七士討ち入りの日」
とも呼ばれています。
近年でも例年12月14日には、
赤穂浪士にちなんだ 、
泉岳寺
(東京都港区高輪)
大石神社、花岳寺
(兵庫県赤穂市)
などでは、義士供養の義士祭が、
また、
吉良邸の一部は現在本所松坂町公園(東京・墨田区)となっており、
同公園周辺では元禄市が、
それぞれ行われております。
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●南極の日
1911(明治44)年12月14日に、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセン(Roald Amundsen、1872~1928年)ら4人の隊員が、
世界で初めて南極点に到達したことを祝して制定された記念日。
1911年10月20日にアムンセンは4人の選抜隊とともに南極大陸のフラムハイム基地を出発し、
4台の犬ぞりを1台あたり13頭、
計52頭に引かせて南極横断を開始しました。
途中好天にも恵まれてアムンセン隊は順調に距離を伸ばし、
1911年12月14日、
人類初の南極点到達を果たしました。
重厚な氷山が多いため船が座礁しやすく、
海流や天候などの悪環境の影響で、
南極大陸への到達は非常に困難とされていた中、
いかにして南極大陸まで到達するかは、
国を主導とした世界の強い関心ごととなっていました。
南極点に到達したアムンセン一行、
イギリス海軍大佐のロバート・スコット(Robert Scott、1868~1912年)、
と競争していたが、
当初スコット隊に比べて不利と思われていたアムンセン隊が約1ヵ月先に到着しました。
アムンセン隊による南極到達の一報は世界中で大々的に報道され、
大きな話題を呼びました。
アムンセン隊は帰路も順調で、
1912年1月25日に1人の犠牲者も出すことなくフラムハイムへと帰還しました。
一方、
スコット隊は帰途に遭難し、
パーティー全員が死亡するという結果になりました。
南極点の初到達を争った、
アムンセンとスコットの2人に敬意を表して、
アメリカが1956年(昭和31年)に南極点付近に建設した観測基地は、
「アムンセン・スコット基地」
と名付けられました。
ちなみに、
1月29日は「昭和基地開設記念日」、
4月6日は「北極の日」となっています。
・12月14日は何があった日?
●日本初の飛行実験に成功
ライト兄弟による世界初飛行から遅れること、
約7年の1910(明治43)年12月14日、
日本初となる飛行実験が行われました。
東京・代々木にあった練兵場から日野熊蔵大尉が、
飛行実験
機種
(グラーデ単葉機)
高度
(10m)
飛距離
(60m)
の日本初飛行実験を成功させました。
が、
この飛行は公式の飛行実施予定日ではなかったため、
滑走の余勢で誤って離陸と報告されるに留まり、
非公式記録扱いとなっています。
正式記録としては、
同年12月19日に徳川好敏大尉が行った、
正式飛行実験
機種
(アンリ・ファルマン)
高度
(70m)
飛距離
(3,000m)
が、
日本初飛行として記録されています。
最後まで読んで頂きありがとうございました🙏