barikatuoの日記

日常の出来事や記念日と雑学、豆知識、趣味の釣りや食べ物(特にラーメン)をつぶやいていきます。よろしくお願いします。

冬至

こんにちは☀️

 

 

今日12月22日は、

 

 

冬至

 

 

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季節の変わり目を表す二十四節気のひとつで、

定気法により、

「太陽黄経が270度のとき」
と定義されています。

 

冬至は、

24節気の一つで、

1年で夜が最も長く昼が短い日です。

 

冬至天文学的にいうと、

太陽の黄経(こうけい)が270度に達する日で、

太陽が一番南にある状態です。

 

そのため、

北半球では1年中で昼がいちばん短く、

夜がいちばん長くなる日を意味します。

 

冬至の別名は、

一陽来復(いちようらいふく)の日」。

 

中国や日本では、

冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、

この日を境に再び力が甦ってくるという前向きな意味合いを含んだ言葉なのです。

 

 

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冬至の日には、

「柚子湯に入ったり」

「かぼちゃを食べると風邪を引かない」
とされており、

地域によっては、

「邪気払い」
とされる小豆粥を食べたり、

体内の悪いものを掃除する意味の

「身体砂払い」
として、

こんにゃくを食べるなどの風習が残っています。

 

 

労働組合法制定記念日

 

 

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1945(昭和20)年12月22日に、

労働組合法」
が公布されたことにちなんで制定された記念日。

 

労働組合法は、労働者の

団結権
団体交渉権
団体行動権争議権
等の保障について定めた法律で、

労働基準法

労働関係調整法

とともに

「労働三法」

と呼ばれています。

 

 

・「労働組合法制定記念日」にちなんで、

労働組合はどのように生まれた?」

労働にまつわる雑学を紹介します。

 

 

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労働者の権利を守るために存在している

労働組合」ですが、

元々はイギリスの産業革命をきっかけにして生まれたものらしいです。


産業革命が始まり機械による大量生産が可能になった事によって産業が発達したのですが、

なんとその労働時間は1日14時間から15時間もあったそうなんです。

 

しかも現在のように冷暖房が完備されているオフィスなどではなく、

現在のように設備が整っている労働環境とは全く違う過酷な労働環境になっていました。


更に機械の登場によって仕事を奪われた職人についても、

このような過酷な労働を強いられるようになり、

労働者はお酒の飲めるパブに集まる事によって、

愚痴などをこぼしてストレスを発散していました。

 

当時は病気になったり怪我をしても適用される保険がなかったことから、

このような労働者が集まってお金を出し合って、お互いを助け合うようになりました。


このお金をパブが預かるようになり、

このことがきっかけとして世界で初めての「労働組合」が発足されることになったのです。

 

 

・12月22日は何があった日?

 

●1954(昭和29)年12月22日、

プロレスの昭和の巌流島戦と称される戦いで、

力道山木村政彦を破る。

 

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昭和29年12月22日(1954年。 66年前の12月22日)、

「蔵前国技館」(「両国国技館」ができるまで大相撲本場所が開催された場所。東京都台東区蔵前二丁目1)

で、

プロレス日本一を決定する日本選手権試合がありました。

 

対するは、

力道山(30歳)と木村政彦(37歳)。

 

「昭和の巌流島」と呼ばれました。

 

力道山のタッグパートナーだった木村は、

いつもながらの、

「外国人レスラーに痛めつけられている自分を、

力道山が空手チョップで華々しく救い出す」

という“筋書き”に不満を募らせ、

ある日、

朝日新聞

で、

「真剣勝負なら(力道山に)負けない」

と発言、

力道山を激怒させました。

 

生活のためにプロレスに転身した木村でしたが、

じつは彼は、

かつて柔道界にあって、

戦前戦中戦後の15年間不敗の

「史上最強」

柔術家だったのです。

 

「鬼の木村」

と呼ばれました。

 

彼のかける技の破壊力はすさまじく、

投げられると受け身をとる暇もなく失神する人が続出、

出稽古ではいくつかの技が禁止されるほどだったといいます。

 

一日10時間の凄まじい稽古をこなし、

試合前には切腹の練習をし、

負けたら死ぬ覚悟で試合に臨んだそうです。

 

そんな彼のプライドが、

プロレスの“筋書き”を許せなくなったようです。

 

最初二人の間で約束があったのなら、

ここで最初に木村がそれを破ったことになるかもしれません。

 

二人は、

リングで決着をつけることになりました。

 

それまでのプロレスは外国人レスラーが相手だったので、

日本人同士の試合は初めてです。

 

互いの出身スポーツから、

「相撲(力道山)が勝つか、柔道(木村)が勝つか」

と注目されます。

 

会場の蔵前国技館には2万近い観衆が押しかけ、

機動隊も出動。

 

日本各地に街頭テレビが設置され、

当地も大森駅(東京都大田区大森北一丁目6 )

前に街頭テレビが置かれ、

人だかりができたといいます。

 

当時テレビ局はNHK日本テレビの2局で、

ともに試合を生放送したので、

視聴率は100%でした。


結果は、

開始15分後に、

力道山が張り手と蹴りを浴びせて木村をマットに沈めました。

 

木村が吐いた血で血だまりができたそうです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=9oNac-RHEIk

 

また、

上の試合の映像を見ると、

木村の片腕は痙攣してまったく自由が利かなくなっているように見えます。

 

ドクターストップとなり、

そして、

力道山の勝ちということになりました。

 

ところが、

真剣勝負と謳われたこの試合にも“筋書き”があったようなのです。

 

両者の間で「引き分け」が約束されていたとのこと。

 

力道山を怒らせた木村の急所蹴りも実は演技で、

その後、

木村は無防備に力道山の空手チョップを受けるつもりだったそうです。

 

しかし、

その後力道山が本気で木村の急所(頸動脈)を攻め、

木村は卒倒、続行不能になりました。

 

朝日新聞」などのメディアが「力道山の勝利」と報道したため、

力道山は今でもヒーローであり続け、

木村はメディアに無惨な姿をさらし、

檜舞台から去りました。

 

ほんとうに力道山が勝ったと言えるのでしょうか?

 

プロレスにシナリオがあるのだとしたら、

プロレスの勝負の勝ち負け、

どちらが強いか弱いかを語ること自体ナンセンスということになるのでしょうか? 

 

木村の偉大さを知る人たちは、

今も歯がみしているようです。

 

あんなに勝ち負けにこだわった木村が、

生活のためとはいえ、

なぜ勝ち負けとは別次元の世界に踏みいってしまったんでしょうか。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます🙏