6年間共にしたランドセルへ感謝
こんにちは☀️
今日3月21日は、
●ランドセルの日
ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」の革細工職人・増田利正さんなど、
ミニランドセルの制作者らが制定。
日付はこの日が卒業式の頃であり、
3月21日の各数字を「3+2+1」とした時の和が「6」になることから。
6年間の思い出をいっぱい詰め込んだランドセルに感謝の気持ちを表す日。
ちなみに、
ランドセルが小学校入学時に使われだすようになったのは、
当時皇太子だった嘉仁親王(よしひとしんのう)(後の大正天皇)が学習院初等科へ入学する際に、
時の伊藤博文首相が祝い品目として贈ったものが初とされています。
・ランドセルの日にちなんでランドセルにまつわる雑学を紹介します。
●ランドセルの起源と由来
ランドセルの起源と由来についてです。
ランドセルの原型だったとされているものは、
既に江戸時代末期には使われていたそうです。
その当時は外国式の軍隊制度を導入している最中だったため、
ランドセルの原型は軍人の装備品として使われていました。
丈夫な布製のリュックサックのようなもので「背嚢(はいのう)」と呼ばれており、
当時は輸入して使っていました。
明治時代に入ると学習院と呼ばれる現在の学校のようなものが誕生し、
子供は背嚢(はいのう)に教科書をつめて通学するようになりました。
背嚢(はいのう)はオランダから輸入されていたものが主で、
「ランセル」という名前だったそうです。
この「ランセル」がなまって「ランドセル」という言葉が誕生したんですね。
当時は布製でしたが、
革製のランドセルが誕生しました。
そのため、
実は革製のランドセル通学を初めてした子供は大正天皇だったとされています。
革製のランドセルは高級品であり、
富裕層の子供のものでした高度経済成長を境にして少しずつ庶民にも普及するようになりました。
現在では日本の革製ランドセルは海外旅行者にも人気のアイテムとなり、
お土産やファッションアイテムとして購入されるようになりました。
ランドセルも日本の大切な文化として守っていきたいですよね。
●国際人種差別撤廃デー
1960(昭和35)年3月21日に、
南アフリカ・シャープビルで人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し、
警官隊が発砲して69人もの死亡者を出す、
シャープビル虐殺事件が起きてしまったことを受けて、
シャープビルの悲劇を繰り返さないために、
国連総会で記念日に制定された国際デーのひとつ。
「シャープビル虐殺事件」は、
南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ近郊の「シャープビル」において発生した虐殺事件で、
18歳以上の黒人に対して身分証の携帯を義務付ける「パス法」に反発した5000人~7000人の群衆が抗議運動を行いましたが、
警察官が発砲を行い69人が死亡しました。
この事件は国中での黒人による抗議運動・暴動に発展し、
18000人以上が拘留されるという異常事態となりました。
このことを重く見た国連は、
3月21日を「国際人種差別撤廃デー」と制定し、
南アフリカでは3月21日は「人権の日」とされています。
また、
上記とは所以が異なるものの、
近年ではスポーツ界でもトップアスリートや団体などがBlack Lives Matterを掲げ、
人種差別による暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える各種活動が展開されております。
・3月21日は何があった日?
●日本初の「運動会」開催
日本初の「運動会」が開催されたのは、
1874年3月21日です。
行ったのは築地にある「海軍兵学寮」で、
運動会は「競闘遊戯(きそいあそび)」という名称で開催されました。
主な競技には、
短距離・長距離走、
玉投げ、
幅跳び・高跳び、
二人三脚、
棒高跳び、
など、
現代の運動会でも行われる競技が実施されていました。
●ツイッター誕生日
3月21日は「ツイッター誕生日」。
2006年の3月21日は、
ツイッターで初めての「ツイート」が投稿された日です?
最初のツイートをしたのはツイッター創業者のひとりジャック・ドーシーで、
「Just setting up my twitter」(いま、私のツイッターを立ち上げたよ)
というツイートでした。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙏