3分間電話
こんにちは☀️
今日1月30日は、
1970年(昭和45年)の1月30日、
日本電信電話公社(略称:電電公社、現:NTT)の市内電話の料金が3分間10円になりました。
1月30日が「3分間電話の日」となった由来は、
この日を境にして公衆電話による市内通話料金が3分で10円になった事にあります。
今は当たり前のように3分で10円という認識ですが、
昔は10円さえ支払ってしまえば市内の通話はかけ放題だったんですね!
この3分10円という試みは1970年(昭和45年)から順次開始されていき、
東京中心部から始まった後、
全国的に広まっていくこととなりました。
これは公衆電話からの料金で、
それまで1通話10円で時間は無制限でした。
3分間10円は長電話防止のために始められたものでした。
公衆電話を10円で使い放題ということは少しでも得をするために長電話をする人が出てきます。
緊急で電話をかけたい場合もあるのに、
長話などで長く居座られてしまう人がでてくるため、
このことから、
公衆電話の長電話を防止するという狙いもあって、
3分間10円となったわけです。
現在は携帯電話・スマートフォンの時代ですが、
この時代にはテレホンカードも、
100円硬貨の使える黄電話も、
まだありませんでした。
青電話は1968年(昭和43年)に登場し、
ダイヤル市外通話が可能となりました。
黄電話が登場したのは1972年(昭和47年)のことで、
高額通話が増加したことから導入されました。
黄電話は100円硬貨も使えましたが、
構造やスペースの都合により釣り銭が出ませんでした。
そのため、
「100円玉でモシモシ お釣りはデンデン」などとも揶揄されましたが、
大量の10円硬貨を必要としないメリットがありました。
テレホンカードは1982年(昭和57年)12月に発行・発売が開始されました。
現在では、
スマートフォンなどを筆頭に携帯端末が主流となっている日本では、
公衆電話という存在自体をほとんど見かけなくなりました。
そのうち公衆電話が完全に撤廃される時代がくるかもしれませんね。
●3分間電話の日にちなんで電話にまつわる雑学を紹介します。
・電話の#はシャープじゃない
皆さんがお持ちのスマートフォンや電話にも必ずついている#というマーク。
このマークの読み方を聞くと、
ほとんどの人がシャープと答えると思います。
確かに音楽記号のシャープにそっくりですが、
実は違うんです。
#は、
「いげた」
または、
「スクエア」
と読みます。
「#(いげた)」と、
「♯(シャープ)」
を並べてみると、
横線が真っすぐなのと斜め線なのとで違いがはっきりとわかります。
●孝明天皇例祭
1867年1月30日に御崩御された孝明天皇を祀るため祭事となっています。
旧暦慶應2年12月25日、
1874(明治7)年〜1912(明治45)年までは、
国の祭日として設けられていました。
現在は、
「孝明天皇例祭」として、
天皇の墓である陵所、
において祭典が執り行われています。
「賢所」(かしこどころ)
「皇霊殿」(こうれいでん)
「神殿」(しんでん)
を指しています。
●タビナカの日
1月30日は「タビナカの日」。
株式会社タビナカが制定した記念日です。
「い(1)ざ(3)地球(0)を楽しもう」と読む語呂合わせが、日付の由来になっています。
タビナカは、
海外現地オプショナルツアー・アクティビティの予約サイト。
ツアーのほか、
日本語ガイド同行の安心サービスを提供しています。
面倒な現地手続きや、
外国語のやり取りは任せて、
気軽に安心して海外旅行を楽しむことができます。
地球上の絶景、
珍しい動物との触れ合い、
美味しい料理やその土地ならではの文化との出会いなど、
人生を豊かにする旅をより多くの人に体験してもらうことが目的です。
記念日を通じて、
人生を豊かにする旅をより多くの人に体験してもらいたいという思いが込められています。
地球は美しさで満ち溢れています。
自然が織りなす絶景、
人類が創った建造物など。
地球上にはまだ掘り起こされていない素晴らしい観光資源がたくさんあります。
同社はそんな感動体験に誰もが安心してアクセスできるサービス創りに取り組んでいます。
予約サイト「タビナカ」では、
世界200都市、
6000ツアーを掲載しています。
●1月30日は何があった日?
●ビートルズ最後のライブ
1月30日(1969年)は、
ビートルズがイギリス・ロンドンのサヴィル・ロウにあった、
アップル・コアの屋上で映画撮影のために突如行ったゲリラライヴです。
キーボーディストのビリー・プレストンを迎え、
警察官が演奏を制止するために屋上に上がるまでの42分にわたって行われました。
事実上ビートルズの最後のライヴ、
「ルーフトップ・コンサート」をおこなった日です。
ビートルズたちのドキュメンタリー映画、
「レット・イット・ビー」の最後のシーンを撮るためにビルの屋上でおこなわれたゲリラライブだったが、
まわりや他のビルの屋上にはたくさんの人だかりができました。
ちなみに、
寒かったので妻(オノ・ヨーコ)から借りたそうだ。
1920年の1月30日は、
東洋コルク工業(現在のマツダ)が誕生した日です。
創業当時は自動車メーカーではなく、
コルクを生産する会社でした。
ちなみに、
マツダという社名は、
創業者「松田重次郎」の名字と、
ゾロアスター教の神「アフラ・マズダ-(Ahura Mazda)」に由来しています。
よって、
「MATSUDA」、
ではなく、
「MAZDA」
なのです。
最後まで読んで頂きありがとうございます🙏