barikatuoの日記

日常の出来事や記念日と雑学、豆知識、趣味の釣りや食べ物(特にラーメン)をつぶやいていきます。よろしくお願いします。

敵に塩を送る

こんにちは☀️

 

今日1月11日は、


●塩の日

 

 

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永禄10年(1567年)、

今川氏との同盟を破棄して東海方面へ進出を企てた武田信玄ですが、

それに怒った今川氏が北条氏とともに、

武田側に塩が入らないようにしました。

 

領民が塩を取ることができず困っていたところに、

長年敵対関係にあり、

武田信玄のライバルとして知られる上杉謙信から越後の塩が送られ、

1月11日に武田信玄の領地である松本藩領(現在の松本市)に到着したことから、

このことを記念して、

この日に塩市(現在のあめ市)が開かれるようになったといわれています。

 

この出来事は、

「敵に塩を送る」

という言葉の由来ともなっており、

敵対関係にある相手でも、

相手が苦しい時には助けるという意味で使われています。

 

 

●鏡開き

 

 

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古来より、

正月に神様へのお供えとして飾られていた鏡餅を、

雑煮やお汁粉などにして食べることで、

一家の円満を願う習わしで、

1月11日に行われるのが慣例とされていました。

 

鏡餅を割る際には、

刃物は切腹などを連想させてしまうため用いず、

手や木鎚で割ったり砕いたりするのが通例とされています。

 

なぜ開くという字をつかうのかというと、

「切る」や「割る」では縁起がよくないからです。

 

さらに「運を開く」という意味をこめて鏡開きと呼んでいます。

 

また、

地域によっては、

京都
(主に1月4日)

(1月15日〜20日
など、

鏡開きを行う日自体が異なっています。

 

また、割った鏡餅の開き方で占いをする地域もあり、

鏡餅の開き具合(割れ具合)が多ければ多いほど、

その年は豊作(良いことがある)とされているとか。

 

 

●樽酒の日

 

 

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1月11日が鏡開きをする日であることと、

餅だけでなく樽酒のフタを割ることも、

「鏡開き(鏡割り)」

と呼ぶことから多くの地域で、

「鏡開きの日」
とされていることから、

奈良県の長龍酒造が記念日に制定しています。

 

健康幸福を祈願し、

願いを成就するよう祈ったりすることに加えて、

樽酒をふるまい飲み交わす風習を、

日本の文化として次の世代に伝えていきたいとの思いが込められているそう。

 

 

・1月11日は何があった日?

 

●新百円札が発行

 

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1930(昭和5)年1月11日、

聖徳太子肖像の新百円札(乙号券)が発行されました。

 

表面
聖徳太子、夢殿)
裏面
法隆寺
が描かれており、

聖徳太子の肖像は1953(昭和28)年12月1日に、

板垣退助氏を肖像とする新百円札(B号券)が発行されるまで用いられていました。

 

ちなみに、

もし今仮に乙号券を所持していたとしても、

当時はインフレ抑制のために紙幣が割と大量に発行されていたため、

戦前の、しかも型の古い紙幣ながら売却価値的なものはあまり期待できないどころか、

買い取ってくれる古銭商自体がほとんどないそうです。

 

100円札は今は発行されていない紙幣ですが、

1957年12月に100円硬貨が発行されるまでは、

100円札が普通に流通していました。

 

祖父母がまだ所有しているケースもあるかもしれないですね。

 


●100円札に登場する人物は年代によって変わり、

それぞれ特徴があります。

年代別の100円札についてご紹介します。

 

聖徳太子の100円札

 

 

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1930年(昭和5年)から1956年(昭和31年)まで発行され、

聖徳太子」の肖像画が特徴の100円札です。

 

中央の「百圓」の文字の下に赤色標識がなく、

裏面の模様が赤い色のものは『失効券』と呼ばれ、

お金として使用することはできず銀行でも交換できません。


聖徳太子の100円紙幣には4種類あり、

発行された年代や特徴によって、

「乙号券」「い号券」「ろ号券」「A号券」、

に分類できます。

 

聖徳太子の100円札の価値の高さの目安としては、
「ろ号券>い号券=乙号券>A号券」、

の順となり、

ろ号券が最も高く取引されています。


市場に最も出回っているのはA号券で、

有効券のため法律上はお金としても利用できます。

 

 

板垣退助の100円札

 

 

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1953年(昭和28年)から1974年(昭和49年)まで発行され、

板垣退助」の肖像画が特徴の100円札です。

 

法律上は現在もお金として使える現行紙幣です。


板垣退助の100円札は3種類あり、

「最初期」「前期」「後期」、

の3種類に分類できます。
板垣退助の100円札の価値の高さの目安としては、

「最初期>前期>後期」、

の順となり、

最初期が最も高く取引されています。

 

紙幣No.や紙質の違いで発行時期を見分けられます。


エラープリントやミスプリントの板垣退助100円紙幣は、

特に価値が高いとされています。


特にお札のナンバーが珍しいアルファベットの並びや、

ゾロ目、

連番のものは、

プレミア価値で高く取引されることもあります。

 

 

・100円札は売れるか?

 

 

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聖徳太子板垣退助の100円札の価値は、

先述したように発行された時期やお札のナンバーによって価値が異なってきます。

 

100円札の状態によってもその価値は変わり、

未使用やピン札なら更に高い査定額が付きます。

 

逆にしわや折り目のついた紙幣は、

高く取引される時期に発行された紙幣でも価値が下がってしまいます。

 

一般的には聖徳太子の100円貨幣の方が希少価値が高く高価買取されやすい傾向にあります。

 

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます🙏